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うまく周囲に溶け込んでいるので・・・。

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 地表を這っている木の根の隙間にすっぽりと嵌まり込んで寝ている。色柄から考えると目立ちそうだが意外と馴染んでいるのか気づかない通行人も多いみたいだ。

 突然に立ち止まって驚いた顔でしばらく熟視して去っていくご婦人などもいたりする。LUMIX G VARIO 14-45/3.5-5.6 (クリックで拡大)

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 50cmほどの距離まで寄ってみたが全く反応がなかった。 (クリックで拡大)

 

新説

 世界史の教科書では中国と西洋との最初の出会いはマルコ・ポーロの探検というのが定説だが、これが1,500年も遡るかもしれないという可能性が出てきた。

 ある考古学者によれば、西安にある秦の始皇帝の墓から発掘された兵馬俑は古代ギリシャからもたらされたものだそうだ。

 彼らはまたギリシャ人の職人が現地で中国の職人に技を伝授したとも言っている。

 13世紀に行われたマルコ・ポーロの東方への探検は、ずっと西欧人として初めての快挙として考えられてきた。

 「今や正式なシルクロードの成立以前に、秦の始皇帝時代の中国と西欧が密接な接点があったという証拠がある」「これは従来よりずっと早い時期だ」秦始皇帝墳墓博物館の専任考古学者のリー・シウチェン博士は語った。

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 別の研究では中国の最西端の新疆地域で西欧人の特徴的なミトコンドリアDNAが見つかっている。このことから始皇帝の時代に西欧人が定住し、生活し、そして死んでいった可能性がある。

 1974年に初めて、始皇帝の墳墓から1マイルも離れていない場所で農夫が最終的に8,000体にも及んだ陶器の像を発見した。

 しかしながらこの墳墓が造営されるまでは中国には等身大の像を作る伝統がなかった。それ以前の像は高さ20cmほどでしかなかった。

 どのようにして技術面や形式にそんな大きな変化が起こったのか、博士は国外からの影響があったと考えた。

 「この地区で発見された陶器製の軍隊、曲芸師、青銅の像などは古代ギリシャの像や美術を示唆しているように思える」

 ウィーン大学のルカス・ニッケル教授は、最近墳墓で発見されたサーカスの曲芸師の像はこの説を支持する証拠だと語った。

 彼は始皇帝は紀元前323年に亡くなったアレクサンダー大王が中央アジアにもたらしたギリシャ像の影響を受けたと信じている。

 「ギリシャの彫刻師がこの地区にいて、地元民を訓練したのが目に浮かぶようだ」

 始皇帝の墳墓施設が当初考えられていたよりずっと大きく、エジプトの王の谷の200倍もあるというのも新たな証拠に含まれる。

 その他の証拠としては、始皇帝の側室のものと考えられる切断された遺体の一部、ボウ弓のボルトが埋め込まれた男性の頭蓋骨などがある。

 この頭蓋骨は始皇帝の死後に起こった権力闘争の果てに殺された始皇帝の長男のものと考えられている。(BBC NEWS ASIAより)

 歴史は過去の出来事なので不変と思っていたが、意外と根拠が浅いものが多いようでこれからもどんどん変化していくのかな。

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