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なかなか狙い通りには事は運ばなくて・・・。

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 耳の先端をカットされた三毛猫を発見、カリカリをあげようとしたがサビ猫に邪魔されてしまった。そのうち顔なじみの黒猫もやってきた。AF-S VR NIKKOR 24-120/3.5-5.6(クリックで拡大)

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 黒猫はおねだり上手、足元にすり寄って食べ物をねだる。(クリックで拡大)

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 場所を移動すると黒猫が後を追ってきて、すると他の猫たちがぞろぞろと黒猫の後をついてくる。皆適度な距離を保って自分の時間を過ごす。猫の集会に参加したらこんな感じかも。(クリックで拡大)

 

徴兵

 インターネットのコラムで徴兵の記事を目にしたので日本の徴兵制度をちょっと調べてみた。

 明治維新は大きな内戦にならず成功したものの、明治新政府が困ったのが朝廷軍がないこと、頻発する農民一揆や士族の反乱を鎮圧しようにも自前の軍がない、苦肉の策が献兵で薩長土などの藩から兵を分けてもらった。兵力数万で治安維持軍的な性格が強かった。

 この兵たちは近衛兵となったが、名ばかりで国家意識が低くて旧領主への忠誠心が強め、西南の役の後には近衛砲兵による竹橋事件が勃発、処刑者50名以上を出した。

 反乱に驚いた政府が目をつけたのが平民からの徴兵だったが、これがまた反発を招いて徴兵回避の手引きが出回る事態に、天皇への絶対忠誠を誓う皇軍の成立には並ならぬ苦労と必要だった。

 海軍が基本志願兵主体だったのに反して陸軍は徴兵が主体、20歳で徴兵検査があり平時であれば2年間の兵役があった、除隊後は予備役さらに40歳くらいまで後備役となる。常備兵が多いと国力的(コスト)に無理がかかるので、兵役期間は短めに訓練は幅広くといった方針だった。

 徴兵制のせいで最大の打撃を受けたのが大正生まれの世代、一桁世代が満州事変勃発あたりに徴兵年齢に達し支那事変、太平洋戦争と複数回徴兵や兵役延長に、先祖を調べてみれば若くして独身で亡くなった方々も多いはず。ある意味世代格差の先取りかも。

 大正末期生まれの方々も太平洋戦争末期の徴兵年齢繰り下げに引っかかり若くして兵役についた、現地召集で少年兵として戦死した人たちもいる。

 満州事変から昭和16年の太平洋戦争までの死傷者数は約50万人(戦死20万人弱)と日露戦争に匹敵する犠牲が出たともいわれるが大正生まれの占める比率も多そう。

 戦争を煽る人たちは戦地に行かないし、その子弟も回避したり後方勤務になるというのが古今東西の常、勇ましい話には裏があるいうのが歴史の教訓?gawk

 

天気予報では・・・

 今日は晴天、朝の目覚めもスッキリで久しぶりに体調はまずまずといったところ。最高気温予想は20℃とさほど寒くない感じだったので長らく休眠中だった単車で出かけてみた。行き先は南丹市の日吉ダム、のんびり走って片道1時間ほどの手ごろな距離だ。

 10時に出発したが体感温度が思いの外低い、亀岡に入ると更に冷え込んで来た。京都縦貫道を降りて南丹市の県道を走っていたら路肩の気温表示は9℃・・・これは寒いはずだ。しばし停車して腕や足をこすって体温を回復させる。その後は体温が奪われないように低速走行、走るシケインと化す。

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 ダム下流のレクリエーション区画には温水プール、足湯、レストラン、キャンプ場などがある。M.ZUIKO 17/2.8(全てクリックで拡大)

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 左上遠くの建造物が日吉ダム。手前の芝生では何やらゲートボール風の球技をやっていた。

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  ほんのちょっとだけ紅葉気分。

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 風が強くて思ったところにピントが来ない。

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 単車の駐車場は大型バイクばかりが目に付いた、小ぶりな400ccの単気筒は存在が霞んでしまう。

 帰路は気温も上がって輻射熱も強めで寒さに震えることもなく快適だった、100kmまで走っていないがやはり単車は車の3倍は疲れる。despair

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