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まったくの不作の日もあるけれど・・・。

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 今日はまったくの不作で猫の姿はさっぱり・・・唯一遠くの屋根の上に寝そべっているトラ猫(?)を見つけただけだった。まぁこんな日もあるさ。SIGMA 60/2.8 DN (クリックで拡大)

 

二度手間

 太平洋戦争の終結に向けて米英中が日本に対して提示したのがポツダム宣言だ。この宣言は、国体の護持(天皇制)の存続などを巡って決断に踏み切れないでいる日本の内政を忖度して出されたらしい。

 ソ連の参戦と原子爆弾の投下により追い詰められた日本首脳陣は、8月9日に最高戦争指導者会議を開催して討議・採決を行ったが、結果は3対3の引き分け、ついに昭和天皇の御聖断によりポツダム宣言の受諾が決まった。8月10日午前2時20分だったと言われる。

 会議の結果は10日の午前9時頃にスイス・スウェーデン両国経由で、米英中三国と追加参戦したばかりのソ連に伝えられた。回答には"天皇制の保全という条件付き"と解してという一言をつけた為に、米国から返信(バーンズ回答)がもたらされた。

 返信内容を確認する意味で再度最高戦争指導者会議が開かれ、8月14日に二度目の聖断が下され、二度目の受諾回答がなされた。

 当初イタリアやドイツのように無条件降伏を考えていた連合国、特に米国にとってさぞかし面倒な国に映ったらしい。休戦に向かって行われた最前線での武装解除の際も、細かい条件にこだわる日本軍将校に対して米軍将校が怒りを覚えたとい例も。

 昭和天皇が後日口にされた敗戦の原因のひとつが"首脳部の常識のなさ、日露戦争を率いたような大人物の不在"だった。敗戦間際になって知らされた日本の実情にはいたく憤慨されたとも言われる。

 ちなみに最高戦争指導者のメンバー6人のうち5名が教育勅語世代で、唯一鈴木首相だけが慶応3年生まれ、混乱の明治初期にかすかに残っていた江戸時代の気配を知っていたようだ。鈴木首相は日露戦争に従軍した強者で2・26事件を生き延びた強運の持ち主だった。

 均一な教育を受けた秀才集団より異分子を含む集団の方が逆境に強い?

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